西から東へ、もっと東へ


深夜、家の前に車が止まり、数人の男が駆け寄ってくる。
そのうちの一人がいきなりはしごをかけ、登ってくるではないか。
二階の窓は今にも破られそうだ。

風が吹いてクヌギの木がザワザワと鳴った。

Exif_JPEG_PICTURE

月明かりに浮かび上がった男は、身体は少年なのだが、顔には深くしわが刻まれており、そのアンバランスが恐怖をつのらせた。

僕は身構え、そして叫んだ。

…つもりだったが、口も身体も思うように動かない。
必死で声を絞り出した。

「こらーっ」

声が裏返ってほとんど悲鳴に近かった。

 

その自分の声で目が覚めた。

足はむなしく宙を蹴っている。
布団の上で妻が白い目で僕を見ていた。

「私、何回も起こしたとよ」

めんぼくない。

 

年に何度か、こんなふうに何かに追いかけられる夢を見る。

朝から家族の非難をあびつつ、僕はずいぶん前に出会ったある人の言葉を思い出していた。

「人が西を目指すのは、気持ちが引いてしまっている証拠なんだよ」

その人の経験から出た言葉だと思うが、確かに僕が福岡市から糸島へ移るころは、同じような夢を毎晩繰り返し見ていた。今にして思えば、その夢から逃れるように西をめざしたのだった。

南へ行くといえば陽光きらめく開放感があるし、北へ向かう人には何か秘められた意志みたいなものを感じてしまう。

しかし西といえば落日である。いわば人生の最終楽章。

「じゃ、僕はどうなるんですか」と、隣人の建築士がいう。

彼は東京から流れ流れて、とうとうこの糸島に漂着したのだった。
自分の手で家を建て、この20年余り、堅実な仕事ぶりだ。

それに、いま僕が出会う糸島への移住を考える人々は、決して疲れてなんかいない。むしろ新しい仕事や生活のスタイルを貪欲なまでに追及しようとしている。

Exif_JPEG_PICTURE

あれこれと議論の末、僕たちが出した結論はこうだった。

「西に住んで、東をめざせばいいんだ」

幸い、僕たちの仕事はほとんど福岡市内で発生しているし、隣人にとっては、たまの帰郷さえ東をめざすことになる。西に住んでいるからこそである。

お互いがんばろうよ。

それにしても、僕といっしょに西をめざしたはずの妻と娘がますます元気なのはどういうわけだろう。

matsuo