リインカーネーション


2014年10月にDMXの仲間に加えていただいた松尾隆文です。

先週のブログでブランドベリ純子さんが、僕を「(不動産)業界をよく知る大先輩」と紹介してくれましたが、業界紙にいたのはわずか3年余り、ほとんど何もわかっちゃいません。まして不動産取引の実務経験はゼロ。社のスタッフには心配をかけることが多いんです。

 

>純子さん、スタートラインは同じです。むしろ僕はあなたがうらやましい。あなたの物件をチョイスし評価する審美眼は、僕にはないから。

 

実際、「還暦近いおっさんを雇ってどうすんだ!?」といぶかったスタッフがいたことは事実です。先日、うきは市吉井町の物件調査に出かけた際、車中で20代の担当者が告白してくれました。

 

なかば押しかけ気味に面接を受けた僕ですが、不採用になるなど考えもしませんでした。根拠のない自信。そのわけが今、はっきりと像を結びつつあります。

 

20代半ば、僕は「シティ情報ふくおか」(現・シティ情報Fukuoka)という情報誌の編集部に勤務していました。1970年代から80年代、全国各地にタウン情報誌が続々と誕生しており、「シティ情報ふくおか」はその草分け的存在でした。「福岡の新しい文化をつくっている」というドキドキするような高揚感と手応えを感じながら夢中で取材に駆けまわりました。

 

 

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「シティ情報ふくおか」の創刊は1976年。B5版で毎号「ふくおかおじさん」が表紙に登場しました。表紙の画像は1981年のもの

 

その編集部とDMXの空気が同じなんです!

 

初めてDMXの社屋を訪ねたとき、ぎゅるぎゅると時間が遡っていくのがわかりました。30年を経て、この不思議な巡り合わせ。福岡R不動産のサイトを初めて見た時から薄々感じていましたが、僕はここにいるべきだと思ってしまったのです。

 

いや、スタッフには迷惑な話かもしれません。でも「シティ情報ふくおか」と「福岡R不動産」、この2つのメディアが僕の中でぴったり重なった時、思わずウルッときたものです。

 

編集部があった磯崎新設計の秀巧社ビル。螺旋階段や吹き抜けなど楽しい仕掛けのあるオフィスでしたが、2008年に解体

 

 

新しい目標もできました。

 

「糸島の物件なら松尾に聞け!」と言われるようになることです。

 

25年前、僕は福岡市中央区薬院の雑居ビルから糸島の古い集落に移住しました。田舎で暮らしたいという単純な衝動に過ぎなかったのですが、今のスタッフから「糸島移住の先駆者だ」と言われて、あらためて自分の立ち位置を認識したものです。中古住宅の取引を通じて糸島の発展のお手伝いをしたい―そんなことを本気で考えている自分がいます。

 

目標達成には遅々たる歩みですが、シティ情報ふくおか時代と同じように、地域貢献への気概を胸に仕事に取り組んでいきたいと思っています。20代に戻ったつもりで。

matsuo