待ちかねた読書の秋がやってきました!
ここのところ週末が雨続きなのも、家にこもって本を読むにはかえってうってつけの天気と言えるかもしれませんね。
わたし個人もつい先日、ここ1年ほどかけて取り組んでいたプライベートの分野でひとつの区切りを迎え、これからしばらくの間は、バベルの塔もかくやとばかりに積み上がった積読本を消化する時間に充てたいというひそかな野望を抱いています。
ところで、みなさんが1冊の本を手に取るきっかけはなんですか?
図書館や書店での「ジャケ買い」もたいへん趣深いのですが、わたしがいちばん好きなのは他の誰かからおすすめされることです。
なぜなら、本をすすめる、という一見何気ない行為が、実はとても冒険的で尊いものだと思うからです。
考えてみれば、本というのはとてつもないメディアです。
誰かが何年も、ときには何十年もかけて考え抜いたことが、回り道や失敗を省いたきれいな形に整えられて、片手で持てる程度の大きさにギュッと凝縮されている。
その言わばメッセージのかたまりを「これはよかったよ!」と誰かにすすめるとき、それは取りも直さず、自分の考えたことを誰かの前に広げて見せることになる、と思うのです。
たとえるならば、誰かがありったけの思いを込めた手紙をガラス瓶に詰めて海に流し、それを拾っただれかが1行だけ書き足してまただれかに手渡す、そんな奇跡のようなことが起きているのではないかと。
大人になれば、考えていることを隠すのが普通になります。
わたしたちは傷つけないよう、傷つけられないように慎重に言葉を選んで本音を隠し、その隠された本音をふたたび探り当てようとしながら日々を送っています。
でも、本をすすめる、という行為に限っては、その優しくももどかしいオブラートの壁が、どうしてか打ち破られる尊い瞬間があるような気がするのです。
そんなわけで、わたしはおすすめされた本は時間がかかっても必ず読むことにしています。
せっかく手紙をもらってゴミ箱に捨ててしまうようなもったいないことはとてもできません。
ありがたいことに、去年福岡に戻って以来、本をすすめていただく機会は以前に比べ目に見えて多くなりました。
おかげで読みたい本リストの中には、今でもたくさんの手紙の束がじっと開かれる順番を待っています。
今年の読書の秋は、いつにもまして実りあるものになりそうです。