「モツ煮食べるか?」と妻が尋ねるので「いや、もう少しやさしいのがいい」と応えたら「じゃ塩サバね」ときた。勢いに押されて思わずうなずいてしまった。聞いていた友人の奥さんが笑い出した。
「それって、すごくドメスティックな会話ね」
ドメスティックとは「家庭内の」あるいは「国内の」といった意味の英語で、この場合、夫婦にしかわからない会話とでも考えればいいだろう。近年はDV(ドメスティック・バイオレンス)でも耳にする機会が多い。
糸島・志摩での暮らしは、ドメスティック・ケア(家事)に関して、妻との協力体制なしには成り立たない。共働きということもあり、炊事、洗濯、掃除はもとより街への買い出し、薪の準備、さらには地域活動と、いささか妻のペースに乗せられていると感じないわけでもないが、たいがいのことは「あうん」の呼吸でことが進んでいく。
でも、だからといって、相手の気持ちがすっかりわかったつもりでいると、思わぬ落とし穴が待っている。
福岡市内に住んでいた頃の友人たちと天神で飲んだときのこと。
二次会、三次会とまたたく間に時は過ぎ、気づいた時は午前三時。どうせカラオケで与作と昴とS&Gを歌ってカプセルホテルにでも泊まる、と妻は思っているはずだし、結局その通りの展開となった。妻はとっくに眠りこけているはずだった。
翌朝、筑前前原駅について迎えを頼んだとき、受話器の向こうになぜか不穏な空気を感じた。不安が二日酔いの頭をよぎる。
案の定、一時間も待たされたあげく、運転席の妻はあきらかに怒っていた。
「どうして電話しなかったの」
予期せぬ問いだった。
「寝てるのを起こすのは悪いと思った」
「それは本当のやさしさじゃない」
ちょっと違う気もしたけれど、返す言葉が見つからない。
「ずっと寝ずに待ってたのに」
そうだったのか。
以来、僕は妻に頭が上がらない。できるだけ従順にふるまい、ほとぼりが冷めるのを待つことにした。
英和辞典でドメスティックの項を引いてみて驚いた。
「飼い慣らされた」という意味もあるのだ。知らなかった。
Domestic animalsといえば家畜。
Domestic servantは奉公人なのだそうです。